譜面の落書き
トップへブギーポップ親愛なる……
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下記のSSには45歳を超える年齢差のカップルが登場します。そんなの考えられない! という方はブラウザバックをお願い致します。
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ライン


 目の前に散らばるデリバリーのピザとビール。
なんて簡単な結末。楢崎不二子は思わず苦笑した。向かいに座る男はもそもそとピザを平らげ、無感動な表情はどこか置物めいていた。

「結局、何だったのかしら」
「全ては役割を終えて……糸が切れた、だけだ」
「それは、伊東谷――彼も……?」
「………………」

 温いビールを流し込んでも込み上げる想い。無残な姿で発見された彼に、最初こそ発狂しそうになった。
だが落ち着いて身辺を整理するに辺り、彼の細やかな心配りに逐一触れ。
 大切にされていた事を知った。遅すぎる感謝は、もちろん彼には届かず。

 そして今求めているのは、あの――




 よくあるシティホテルの一室で、シーツに包まり泣きじゃくる私。初めての恋だった。
当時高校生だった私には、大学生の彼はとても大人に見えて。伊東谷の進言には耳も貸さず、ただひたすらに夢中になった。

 好きだから抱かれる。そんな陳腐な動機でこのホテルに来て、身体を重ねた。震えて硬い反応しか返さない身体に、難儀する彼。無理やりの挿入に涙しか出なかった私。
 気まずい空気と共に、浮彫りになる想いのすれ違い。身体と好奇心だけを求め合った関係は、この一夜で消えてしまった。

 それからどの位泣いていたか覚えてない。日付が変わり朝日が白々と差し込む中で、何時までも動けない私。
 壊れた耳にかちりと控え目な解錠の音が響き、ドアが開く。そこに現れたのは、いつもと変わらない老紳士の姿。

「お嬢様、帰りましょう」
 ぼんやりする頭で伊東谷を見ると、また涙が頬に流れていった。

 心中どれ程呆れていただろう。だが彼はいつもと変わらず、いやそれ以上の優しい声音で安否を尋ねてきた。

「お嬢様、ご両親も心配されています。――帰りましょう」
「伊東谷……、っく、いとぅ、や……ごめんな さい……」
「謝らなくてよろしいですよ。それより……お体は大丈夫ですか? シャワーを浴びた方がいいですね」
「ぅっ……ごめん、なさい……バカなことして、迷惑っ、か けて……」

 私は彼にしがみ付き、嗚咽を繰り返した。物言わぬ彼は胸元が濡れるのも厭わず、柔らかく髪を梳き背中を撫でる。
 泣く程に心配をかけるのが判っていながら、溢れるそれを止める事が出来なかった。

「っく、伊東谷 ごめん……止まらなく、なっちゃ った……っ」

 壊れた涙腺のまま見上げると、僅かに寄せられる眉根。
ああ心配しないで、ってこれじゃ無理か。本当に私バカだなあ……。思わず苦笑すると、不意にきつく抱き締められた。

「……止まらないのでしたら尚更、シャワーで暖まって下さい。きっと上がる頃には止まりますよ」
「うん。……ごめん、手伝ってくれるかな?」
「……承知致しました。少々お待ち下さい」
 軽く背中をぽんぽんと撫でた後、ジャケットを脱ぐ伊東谷。ネクタイを外し、カフリンクスを置き、腕を捲る。身軽なベスト姿になって消えてく彼を眺めていると、流れてくる暖かな水音。
 
「お嬢様、用意が整いました」
 細く開けられたドアから湯気が漏れ出てくる。私は力なくシーツを脱ぎ捨て、バスルームへと入っていった。

 猫脚のバスタブに勢いよく注がれる暖かな湯。それに浸る内に、強張った身体が徐々に解れてくるのを感じた。

「お湯加減は如何ですか?」
「うん、丁度いい……」
 それでは、と退出しようとする彼の袖を掴んで引き止める。怪訝な顔の彼に、甘ったれたおねだりを投げかけた。

「その、身体も洗ってもらって、いいかな?」
「……お嬢様」
「ごめん、無理な事言ってるって判ってる。でも……お願い。もうこんな事言わないから」
「いつも言われたら困ります。……今日だけですよ」

 渋々ながらも了承が得られて、私は涙が残る顔で微笑んだ。彼は溜息しつつ傍らのシャンプーに手を伸ばす。
 手のひらで泡立てられ、躊躇うように優しく掻き分けてゆく指先。こうしてお風呂で洗ってもらう事など何年ぶりだろう。遠い昔にしてもらった事を思い出し、まるで子供時代に戻ったかのような錯覚に囚われる。

 もう、少女じゃないのに。

 髪を洗い流し、私はバスタブから上がり椅子に腰掛ける。そして彼はスポンジで私の背中を洗い始めた。

「それにしても、齢60を超えて三助をするとは思いませんでしたよ」
「我儘言ってごめんなさい……でも、ひとつ聞きたかったの」
「何ですか?」
「……私、変じゃないかな……」
 振り返って伊東谷の顔を見つめる。縋るような目線は彼の手を停めさせた。

「昨日彼と、その……しちゃったんだけど。怖くて、痛かった。みんなが言うような“気持ちいい”なんて全然なかった」
「……それは……」
「やっぱり私、どこかおかしいのかな? 伊東谷教えてよ」

 何も言わず、動きを停めたままの彼。
その様子で問いの答えを確信する。おかしいんだ、私。このまま治らないのかな……。みるみる表情を曇らす私に、彼は慌てたように弁解した。

「違います! お嬢様はどこもおかしくありません」
「でも……」
「ただ彼の事を身体が拒んだ、というだけですよ」
 そう告げると彼は辛そうに顔を背けた。

 曇った姿見に映る、頼りない自分。目を落とせばそこかしこに散る、生々しい昨日の跡。それがこの老紳士に辛い顔をさせていると思うと、身につまされるようだった。

「ごめんなさい……自分で望んだ事だもの。どんなに不安だろうがこんな事聞いちゃ駄目。聞くべきじゃないわよね」
「お嬢様……」
「彼と、何より心配してくれてた伊東谷に対する侮辱よね。……今聞いた事は、忘れて」

 ぎこちなく笑みを作り、彼の手に触れる。
この虚勢も、震えも、全て彼に伝わり苦しめてしまう。ならば私に出来る謝罪はただひとつ、“後悔しない”ということ――。
 懲りずにまた涙が溢れそうになり、私は慌てて背を向けた。
 
 重い、沈黙の時が過ぎる。耐えられなくなり振り向こうとした瞬間、すっ と背中をなぞる指。

「……お嬢様……無礼を、お許し下さい……」
 いつもと違う、熱を帯びた低い囁き。
驚いて振り返ると、ゆっくりと差し伸べられる腕が頬に触れる。
大きな手は確かな温もりを伝え、繊細な動きで髪を梳き、耳にかけた。
 眼差しは強く、切なげで――目を逸らす事など、出来ない。

 彼の親指が涙の跡を滑り、唇にたどりつく。舐るように唇をなぞる指。
指はその弾力を堪能した後、やんわりと口内へ侵入する。歯列を辿り舌に触れ、感じるのは微かな石鹸の味。優しく掻きまわす指に舌が絡み、ぴちゃりと淫靡な音を立てて唾液をこぼれさせる。
 口は指に、身体は眼差しに捕らわれ、逃れられない。私は堪えきれず喘ぎをひとつ漏らし、目を閉じた。

 視界を遮る事で、より鋭敏になる感覚。
立ち込める湯気も、侵略する指も、荒くなる呼吸、艶めかしい唾液の音、全てが私の何かを煽った。
 何も触れていないはずの身体に、彼の強い眼差しを感じる。焼け付くようなそれに熱は増し、貧血のような眩暈に襲われた。
指は舌と戯れては内壁をなぞり、その度に何かを暴いてゆく。何を……? 判らない。ただ止め処なく唾液は流れ、彼の腕に、私の胸に落ちていった。

 もうひとりでは座っていられず、彼の胸へ倒れこむ。背中に彼の服が触れる刹那、全身にびくんと衝撃が走った。

「っ――――!」
「つっ……」
 思わず私は食いしばり、彼の指を酷く傷つけた。微かに聞こえた呻き声。確かに感じる、鉄の味。少し呼吸が治まった後、目を開けるとすぐ傍に彼の眼差しが。

 ……これは、誰?
そこには穏やかな笑みの老紳士ではなく、知らないひとりの男性が、いた。
彼はゆっくりと指を引き抜き、傷ついた箇所を舐める。
味わうように掬い取る彼。染み出した血は舌に移り、そして――

 私は、彼の傷に、舌を寄せた。

流れる血に脈打つ痛みを感じ、丁寧に。傷ついて裂けた皮も舌で辿り、貪欲に。夢中になって啜るうち、私は彼の服に胸を擦り合わせ未知の刺激を貪っていた。
 濡れて悩ましく張り付くシャツの下の、逞しい胸。服越しでは物足りなくなり、脱がそうとする腕を絡め取られる。強く抱き締められ、彼の鼓動を、熱を、吐息を共有する。

「っ、い とうやぁっ!」
 込み上げてくる快感に溺れるように、私は激しく痙攣して果てた。




 力尽きた私を優しく洗い上げ、服を着せる伊東谷。自分は濡れたまま、私の足元に跪いた。

「申し訳ございませんでした。どのような処罰も受ける所存でございます」
「伊東谷……そんな……」
「お嬢様に不埒な事を…これは、許されない事です」
「……ううん、いいの。伊東谷は、身を以って教えてくれたんだよね? 私がおかしくないよ、って」
「いえっ……」
「きっと心と身体は繋がってて、だから……彼とは苦痛でしかなかった。心許した伊東谷に、気持ちよさを感じたように」

 私は新しいバスタオルを手に取り、跪く彼の肩に掛ける。驚いて顔を上げる彼に、私は悪戯っぽく囁いた。

「ありがとう。……早くあなたも着替えて帰りましょう。伊東谷が風邪引くと、両親に言い訳してくれる人がいなくなっちゃうわ」
 帰宅後伊東谷の弁明もあって、両親から咎められる事は、なかった。




 あれから10年近い年月が過ぎ。私はいくつかの恋を知り、何人かと身体を重ねた。結婚を考えた事も1度や2度じゃない。
 だがあの時以上の快感を、安心を、得ることは出来ないままでいる。

 そして、彼を永遠に失った。

 もうあの手を、求める事すら叶わない。
祖父のように、父のように。友人のように、そしてひとりの男性として―― 暖かく包んでくれる事を、どうしてただの男に求めることが出来よう?
 そんな、一生を捧げても足りない程の重責を。

「……彼がすべき事を成して潰えたのなら、守られた私にも義務があるわよね。例えひとりでも、自分のすべき事をするっていう」
「……人は、誰しも囚われて……流される……」
「じゃあ私も、流されて辿り着くまで頑張らなきゃ」

 私はコートを手に席を立つと、遠くで少女の話し声が聞こえた。追憶を引きずる自分に苦笑で決別し、彼へ餞のキスを額にひとつ。
 
「あなたも、頑張ってね。……さよなら」
 
 そして私は頼りなく、でもひとりでドアを開け踏み出していった。

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