譜面の落書き
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 “おまえは何処にも行けまい――糸は全て切れている”
上等だ。だからこそ俺は、命を懸けて世界に“悪戯”してやるのさ――。
 
 彼の不敵な笑顔が、今も鮮やかに遺っている。



 照り付けるシャンデリアに、粘りつく有象無象の視線。それらを跳ね返すよう瀬川風見は意識的に背筋を伸ばした。
 財界の主だった顔触れが揃う今日のレセプション。華を添えるべく招待された彼女だが、会場入り10分で既に辟易していた。
 何もレッドカーペットたれ、とは言わない。だがもう少し格好が付かないだろうか。ああ、何より息が臭いんだってば。便宜上エスコートしてもらう事になった瀬川の当主を眇めては、内心厳しく悪態をついた。
 交わされる会話は低俗で醜悪。それでも仕事の役には立つ。“人間観察”という表、“監視”という裏、その両方に。

 不意に会場入口が騒がしくなる。
そこには受付を済ませ、確かな足取りで歩いてくる男。標的――寺月恭一郎。
 威圧されてる自分を苦々しく思いながら、私はグラスに口を付けた。

 この男が何をやらかしたのかは知らない。ただ上からの指令が、回を重ねる毎に深刻になっていくのは判る。
 最初は純粋に指令の伝達だけだった。それが伝達を口実にした接触に変わり、今では調査・監視対象だ。
 もちろん調査の度に、結果は“問題なし”。不自然な程何も出てこない身辺は、彼を危険だと認識するのに充分だった。

「今日は一段とお美しいですね、風見さん」
「……お上手ですわね。本日はお招きありがとうございます。貴方もご健勝で」
「堅苦しい挨拶はなしにしましょう。時に、甘いものはお好きかな? 今日は是非召し上がっていただきたい物を用意しているんですよ」

 人懐こい笑みで語りかけてくる彼。初夏の夜を思わせる群青のタイが、ダークグレイッシュのスーツを上品に引き立てる。
纏う風格は威風堂々、立ち居振る舞いはどこか悪戯っぽく。それは呆れる程魅力的で、顔などの美醜を超えた本物の“華”があった。
 自然、彼の所作ひとつに衆目が集まる。
 見られる事には慣れている。だが、やはり居心地が悪い。特に格の違いがあからさまな当主は、可哀想なくらい萎縮していた。

「私、甘いものには特に目がないんですの。楽しみですわ」
「私も恥ずかしながら、好物でして……」
「そうですか! では早速如何でしょう。あちらに用意してありますよ」

 原因の当人だけは全く気にならないようで、嬉々として私達をデザートコーナーに案内する。
そしてアイスをサーブする青年に耳打ちをし、青年は私達を見つめては「まかせといて!」と力強い返答をした。
 少年のようにはしゃぐ彼と青年。一体何が始まるのやら。私は少々冷めた目で、彼らの挙動を見守った。

 目の前に出されるクリスタルのコンポート。
上に乗るアイスはカシスだろうか。藤色のそれにちょこんとブルーベリーが添えられている。後ろの当主には琥珀色のものが渡されていた。
 
……何故同じものではないのかしら。服の色に合わせた、とか?
まさか。確かに今日のドレスはウルトラマリンで、当主のタイは金の幾何学模様だ。だからといってそのままサーブしたのなら、余りにお粗末過ぎる。
 疑問に思いつつ彼らを見ると、笑顔でどうぞ と促された。

 考える程の事ではないか。私達はひと匙掬って口にし―――。
「――うぉっ!」
がしゃんっ
「!?」
 口にする寸前、叫び声と冷たい感触が背中を襲う。当主は手にしたアイスを取りこぼし、私の背中に、床にぶちまけた。
砕け散るコンポート。無残、アイスはドレスと床の染みと成り果てる。
 咎めるように振り向くと、そこには呆けた当主の姿。あれ程気にしてた周囲の視線にも構わず、ただスプーンを手にぶるぶると震えていた。
虚ろな目は床の残骸を映し、その震える手で求めるように――。

「大丈夫ですか、瀬川さん」
「……うう……あ、ああ……」

 屈みかけた当主の身体を、寺月氏が素早く掬い上げる。そこで当主は我に帰ったのか、慌てて彼から離れ辺りを見回した。
係の人間が片付けに近づいてくる。彼は当主を心配そうに一瞥した後、ジャケットを脱ぎ私の肩へ羽織らせた。

「風見さんも……レストルームへ案内します」
「……ええ、お手数かけます」
 ふわりと肩に手をまわされて、私は彼と会場を後にした。


 自然にエスコートされてる自分に苦笑する。
そういえばこの男、浮名を流した数は限りないだけあって動作に無理がなく手馴れていた。当主のそれとは、比べるべくもない。
 肩を抱かれたままエレベーターに乗り、最上階の客室に着く。カードキーの開錠音の後、眼下に広がるは眩いばかりの夜景。
 落とされた照明の中、誘われるように窓の方へと歩いていった。

「素敵なレストルームですわね?」
「私とした事が、慌てて間違ってしまったようだ」
「……嘘つき。いつもそうやって悪さをしてるのかしら」
「貴女こそ。敢えて避けずにアイスを被ったのは、どうしてかな?」
「突然だったもの。避けるなんて無理だわ」
「……まぁ、確かにそうだな」

 お互い白々しく笑った後、彼が静かにジャケットを脱がしていく。
アイスは露出した背中からドレスの尻へ、甘い匂いを放っていた。
彼の指が背中のラリエットをはじき、甘い残滓に口付ける。背骨を辿るように舐める舌。その感触に不覚にも息が上がり、総毛立った。

「……さしずめ、戻らぬ昔日の栄光、か……」
「っ、……?」
「このアイスだ。瀬川氏の為に用意した、メープルウォルナッツの」
「それが何……?」
「ただのアイスが、彼の心をえぐったのさ」

 貪欲に舐め取られる背中。思わず窓に手をついた瞬間、ファスナーを噛まれジッ、と高い音が響いた。



 拘束を失って緩やかに滑り落ちるドレス。肩紐を抑えようとした指は彼の唇に阻まれて、下着を着けてない胸を露わにした。

「んっ……悪戯が、過ぎますわ」
「俺の事を調査しに来たんだろう? だから、存分に探ってくれ」
「そんな……」
「残念だが替えのドレスが届くまで、後20分はかかる。それまで中座しても、誰も貴女を咎めない」

 しゅっ、とネクタイを引き抜く。彼はそれを私の手首に巻きつけ、柔らかく蝶結びにした。
窓に手をついたまま自分の姿を確かめる。身体を隠すものはガーターとショーツ、そして彼の腕だけ。

「これで貴女は逃げられない。貴女には、何ら責はない」
彼の指が頬を滑る。唇を割り、私は成す術もなく暴かれてゆく。

「貴女が魅力的過ぎるから、こうして触れずにはいられなかった」
「……馬鹿なひと。……嘘つき」
「嘘じゃないさ。さあ、何が知りたい。俺は何を話せばいい?」

 唇が、髪を掻き分け耳を甘噛みする。
この腕も、唇も、囁きも、手首の戒めも全て、振り解くのは容易い拘束。だが私は逃げられない。窓ガラス越しに射竦める強い眼差し。
 抗う翼を、既に奪われている。

「……貴方の、全てを」
「了解」
 私は振り向き、噛み付くように激しくキスをした。

 性急に責め立てる口付けもあやすように躱される。舌は絡まり宥められ、そして優しく奥を侵していった。
 完全な子供扱い。もどかしさに身をよじると、彼は私の腕を掴み自身の首に掛けさせた。

「そんなに焦らなくてもいい。まだ時間はある」
「でも、……」
「勿体無いだろう。もう二度とない逢瀬なのだから」
「!  貴方っ」

 笑みに宿る微かな諦念に、彼の想いを知る。
彼が何をしたのか。知らないし、知りたいとも思わない。だが恐らくは今回が最後。この男は既に、取り返しのつかない所へ踏み入ってしまっている。
 最期に幾ばくの情報と抱擁を。そんなものはいらない。勝手に消されてしまえばいい。

 私に、遺していかないで。
 私を、遺していかないで。

 乱暴に彼の頭を引き寄せ、胸に強く抱きしめる。
何も言わない。そんな事に口など使ってやるものか。
 私に抱かれたまま、変わらず穏やかな笑みを浮かべているのが腹立たしい。腹いせに髪を思いっきり掻き乱すと、童顔が更に輪をかけてあどけなくなる。
これで年の差が親子程なんて、詐欺もいい所だ。

「あぁ酷いじゃないか。俺はこの後戻らなきゃいけないんだぞ」
「お互い様だわ。それより本当に、替えのドレス用意してるんでしょうね?」
「さあどうかな。貴女次第だ」
「最低」
「よく言われる」
  
 彼の腕が背中と膝裏にまわされる。私は簡単に抱き上げられ、そのまま机へと運ばれていった。

 脚に繊細な彫刻が施された机。鏡のような天板の艶は、上に載る裸体を映し出す。

「……どうしてベッドに連れてってくださらないの?」
「好色家で通る俺にも世間体があってね。痕跡はあまり残したくない」
「何を今更」
「それにここなら、貴女の身体がよく見える」

 腕を首に掛けさせたまま、わざとらしく身体を凝視する彼。 
本当に食えない男。脇腹を狙った膝蹴りは難なく防がれ、宙に浮いた。
そのまま脚を開かされ、間に彼の身体が割り込んでくる。膝を立て座る私は、どこか虫ピンで刺された昆虫標本じみて。
 羞恥を煽られる。今すぐ、この手首の戒めを解いてしまいたい位に。

「そうだ、このネクタイを解いたら俺はこのまま去るぞ」
「それじゃ今すぐ解きますわ」
「着替えも土産話もなしに? それでもいいなら、どうぞ」
「……この、クソじじい」
「貴女の口からそんな素敵な言葉を聞けるとは。いや、意地悪してみるものだ」

 何が可笑しいのか彼は肩を震わせて屈託なく笑う。そしてちろりと胸を舐め、手を背中へ滑らせた。ただのひと撫でで灯される快感。
うなじを捕らえる指は彷徨い、ラリエットをなぞる。もう片方の手は背中から脇腹へ、身体のラインを確かめては胸を包み込んだ。

 胸の頂を含む唇も、探る指も、どうしようのない程暖かい。こんな格好で辱めるよう抱かれているのに、まるで処女に触れるかのような優しさがあった。
 鼓動が早まる。仰け反る喉元に指が絡む。含まれた胸の頂は甘噛みされ、舌で突付いたり舐め潰したりして硬さを増していく。
口を離すと名残の糸が微かに引き、彼はそれを指で掬い頂へ戻す。全身に痺れが走る。唾液で濡れた所は触れる空気ですら愛撫のように苛まれた。
 指が滑りショーツに触れる。湿った音が響き、陥落の証を知らしめる。彼は微かに笑った後、身を屈め滴るそこへ舌を伸ばした。

 太腿に、後ろから腰に添えられる腕。私の身体を柔らかく押さえ、彼はショーツ越しにその潤みに口付ける。
舐められる度上がる水音は彼の唾液か、私のものか。
 考えるまでもない。考える理性は、とうに溶かされている。

 焦らすように襞の方から舐め上げる舌。時折鼻に触れる芽が、これ以上ない刺激を背中に走らせる。
舐めて、舐め尽くされ、水気でぼったりとなったクロッチを指がどける。
触れる空気がひやりとして気持ちいい。そこにまだ足りないと、男の舌が責め立てる。
 もっと吐き出せ。もっと乱れろ。
貪欲なのに優しい舌が襞の縁を、中心を、充血する芽を蹂躙する。もう耐えられない。許して。貴方のそれを――。

 かちゃりとベルトの音を遠くに聞いた。
衣擦れが汗ばむ身体に期待を煽る。現れたそれを見てどくん と鼓動が一層激しくなった。

「……参ったな。そんな眼で見つめられると、本当にどうにかなってしまいそうだ」
「私は……既に、貴方に……どうにかされてます……」
「ああもう本当に……罪作りなひとだ」

 首に掛けた腕を外し、私を強く抱きしめる。肌蹴た胸から彼の熱が伝わった。
私は引き寄せられ机を降りる。ゆっくりと脱がされるショーツ。ガーターはそのままに、身体を反転させられ机に手をついた。
 後ろから抱きしめられる身体。高鳴る鼓動に、熱い吐息に、嘘はない。

「貴女は本当に綺麗だね。……その背中を、汚したいと思う程に」
「―――ゃああぁっ!!」

 一気に貫く彼自身。突然満たされた内は喜ぶように侵略者を包み込む。
押し倒される背中に彼の指が食い込む。名残惜しむように引き抜いては最奥まで突き立てた。
揺れるリズムは緩急富んで私を嬲る。脚が痙攣して限界が近い。仰け反る度に響く、ラリエットの乾いた音と二人の水音。

 手首の戒めごと彼に掴まれた途端、私は登りつめて全てを吐き出した。


 しゅっ、と解かれるネクタイ。
これで戯れの睦みはおしまい。後は報酬を受け取って去るだけだった。

「……狼藉を働いて悪かったな。済まない」
「謝罪の言葉より、欲しいものがあるわ」
「何だ。統和機構の機密か? それとも」
「ドレスよ。忘れてないでしょうね!?」

 ガウンに身を包み、これ以上ないくらいきつく彼を睨む。
彼はきょとん、とした後、盛大に吹き出し顔を逸らして爆笑した。
本当に馬鹿にしてる。今からでも遅くない、きっちり抹殺してやろうかしら。

「大丈夫、もう届いてる。さっきノックが聞こえたから多分それだ」
 入口の方を窺う。ドアの脇に置かれるのは、鮮やかな蒼のドレスとガーターストッキングの一式。

「……あの、ひとつお聞きしますけれど。これだけですか……?」
「そうだ。何か問題でも?」
「いえ、あの……下着は」
「アイスを被っただけなら必要ないだろう」
「――この、最低クソじじいっ!」

 着替えを引っ掴んでドレスルームへ駆け込む。
悔しいが誂えたように身体に馴染むドレス。上気した肌に、サファイアの装飾品とそれはよく映えた。
下着を着けてないからラインを気にする必要もない。別の意味で、思いっきり気になるが。

「ああ、思った通りよく似合う。素敵だよ」
「……ありがとう。一応、褒め言葉と受け取っておきますわ」
 お互い白々しく笑った後、彼の腕が差し伸べられる。

「……おいで」
 誘われるまま、彼の方へ歩み寄る。ふわりと抱きとめられる身体。
「貴女に、とっておきの悪戯を残していくよ」


 そして彼は、夏を待たずに粛清された。




 取り壊されていく、主のいない奇怪な建物。
埃っぽい空気に嬲られてふいに何かが込み上げる。

 寺月恭一郎は、世界中に爪痕を遺してこの世を去った。
この建物然り、生物兵器然り。彼の“悪戯”の後始末に、今も世界が振り回される。彼はそれを、どこか遠くでほくそ笑んでいるだろうか。

 “自分を、自分の能力を、そして自分の可能性を大事にしろ”
彼の最期の言葉に縛られながら、私は戻れない道を踏み出しつつある。
私は、平穏に日々を過ごしたかったのに。馬鹿な男。馬鹿な自分。本当に腹立たしい。

 そんな一言に力があると遺した彼に。力があると信じてる自分に。
全てをかなぐり捨て泣き喚きたいくらい、どうしようもなく心乱されてる。

「……糸は、切れてないわ。切れる筈ないじゃない……」

 そう。なんせあの最低クソじじいだもの。まるで呪いのように私達にへばり付いて、どこまでも操り導いていくのだ。
仕方ないから、私はそれに付き合ってあげる。何処まで行けるか判らないけれど、手を伸ばして届くまで――。

 私は瓦礫に決別し、振り返らずに立ち去っていった。 

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